店主:勝俣工一の自己紹介

店主:勝俣工一 の自己紹介

・原田メソッド認定パートナー
・舩井幸雄氏がつくった(株)本物研究所の販売店

こんにちは(^^)/
勝俣(せきや)工一と申します。10代までは母姓の関谷でした。
地元の小田原では、勝俣よりせきやで通ってます(^^)

私のことどんな人?と興味ある人は
読んでくださいね♪

なんも興味ない人は
スルーしてくださいねf^ ^;

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☆わたしは♪

赤ちょうちんでホッピー飲む事が
中学校の時から大好きな56歳の
いつも青春気分の男です(^^)/

ホッピー焼酎割りを教えてくれた人は不良な親父でした。
よく中学時代から親父とホルモンやでホッピー飲んでました。
というより親父につき合わされて飲まされていました((+_+))

親父からは良いことも悪いことも様々な事を学びました。
さいこーに尊敬している親父です(^-^)/

親父は、いまはあっちの世界に行って
天国で天下泰平な好き勝手な人生を送っていると思います。

親父は、私が小学校の頃から高校の頃までよく暴力をふるいました。
小学校6年生のときは、
金属でできた物で私をボコボコにして、
その金属がふにゃふにゃになってしまうほどたたかれました。
かなりのケガをおわされたこともあります。

私が中学生の頃、家にバリバリのヤクザのお兄さん二人が
家に来て、親父をおどしにきましたが
親父は、家の中に入ってきたその二人を一喝して
逆切れしてどなってました。

そのとき、私は友人と家のすみに隠れて
木刀のようなものを持って
親父になにかあったときのために隠れて待機していたほどですf^^;

とくに喧嘩などできそうにない見かけはやわな親父だけど
気持ちはとっても強かったです。

そのとき親父は、

「俺は間違ったことはしていない。
 命かけて生きてるんだ。
 なんでおどしに屈することがあるんだ。
 おまえもよくおぼえておけ!」

などと言ってたことを覚えてます。
そんな親父だったので、男として親父に惚れ込んでしまうほどの人でした。

私の人生は、楽あれば苦ありで
どこにでもあるよーで
周囲の人から見ると
どこにもないよーな人生みたいです(*_*)

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☆母との別れ

10歳の小学校4年の時に、母は35歳で
信じられないような事件で他界しました。

今でもあの時のショックは
背負い続けてしまっているのかもしれません。

私の母を死なせた人に対して
数年前までずっと殺したいくらい憎んで生きて来ました。
自分でも恐ろしいほどに…。

あのとき、私に勇気があれば
母は死ななくてすんだのです。私に勇気さえあれば…。

後悔と勇気がなかった自分に対する憎しみに苦しみ続け、

母を死に追いやった人を
殺したいくらいの憎しみは何十年と続いていましたが、
行動に起こしたいくらいの気持ちがあっても理性がはたらき、
そんな自分にも苦しんで生きてきました。

しかし、突然、ある瞬間ゆるせた瞬間があり、
今は心の底から許せているんです。

不思議な瞬間だったのです。。


私の記憶が変わったかのように
事実は記憶としてあるのですが
今でも不思議でなりません。
ただこれだけは最近になってわかったのです。

その時まで、母は自分を死に追いやった人を
私に、恨みを晴らしてくれ!と思っていると思い生きてきましたが


母の本当の気持ちがわかったのです。

「その人を許せる大きな心の男になってほしい。
 家族をみんな仲良く一つにまとめてほしい。
 恨みつらみに左右されるそんな男に育てた思いはないよ。」

と。

これもそれも全部人生なんですよね。
強く生きなきゃいけないんですよね!
短気を起こしたらいけない。
いつもその思いと戦ってきました。
母の分も幸せになってやると!

母、関谷君江の息子だと
母が誇りにもてる人間になりたいと思って生きてきました。が…。
現実は思いとはほど遠い人間で生きています(゜O゜;

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☆本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」との出合い

母を失ってから間もなく
隣りのアパートに住んでいた
元プロボクサーで國士舘高校出身の
当時23歳くらいの河野昇さんというお兄さんが
私に本宮ひろ志の
「男一匹ガキ大将」を全巻読め!と
強制的に読まされたのが
その後の私を育成していく
大きなバイブルとなりました。

そのお兄さんにあこがれ
私も國士館高校に入りました。

そのお兄さんのアパートに私は
学校行く前と夜に、毎日のように入りびたれて
「男一匹ガキ大将」を教科書にして
男を磨くための授業がマンツーマンで行われていたんです。f^_^;

本宮ひろし志の本は
人間としてとっても大切なことを教えてくれました。

(うちの息子が中学1年生になった時
 息子に全巻強制的に読ませて
 毎日感想文を書かせたものでした(^^)/
 バカ親父ですねf^ ^; )

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☆流されていく10代

しかしお母さんっ子だった私は
信じられない死に方をした母の死を
受け入れる事ができずに

それからは、すべり台のように
流された人生を歩き出してました。
小学校5年には不良の道へ…。



☆究極のマイナス人生から得た財産

究極のマイナス人生のスタートでしたf^ ^;
今思えば甘ったれてたんですよね。

15歳で血友病が発覚。運動禁止!

18歳で集団リンチ半殺しの目にあい4ヶ月の入院。
新聞の全国紙に掲載されるほどの事件でした。
でも、これも自業自得。自分が原因でした(>_<)

その入院している間、親父はなかなか見舞いに来てくれませんでした。
3か月目くらいに、突然親父が見舞いに来てくれたのです。

私は、ちょっと嬉しくて
しかし親父の顔には笑みはありませんでした。
6人部屋で、他に患者さんや見舞いの家族がいるなかで
親父は私のベッドの前にくるなり

「馬鹿なことやってるんじゃねえ!
 おまえはお山の大将なんだ。
 そのくらいの痛い目に合わないとダメな奴なんだ!
 ばかやろう!」

と一言だけ言って帰っていきました。
とんでもない親父ですよね!(>_<)/
でも、こんな親父だから、男としてなんだか惹かれていました。

血友病で何年もの間、血液を凝固する因子を補うための
非加熱の濃縮凝固因子製剤を何十本もうち続けたが
奇跡的にエイズにはなっていませんでした。

その時、「なんで自分はならなかったんだろう?どうしてだ?」
と喜びたくても喜べない自分がいました。

(血液製剤1本に100分の1の確立でエイズになったそうです。
 何十本も打っていたので限りなく100%に近い確立で
 エイズになっていた様でした。)

「人生」というか「運命」というのでしょうか

自分の力ではどうにもならない人生の流れ

  どうして俺が助かったの?

自分自身の中で受け入れられない
複雑な思いで生きていました。

まだまだ、奇跡的というか不思議な体験で
事故から助かったとか
色んな経験をして来ました。

ここでは不思議な体験のことは
またの機会があればお話ししてもいいのかなと思いますが。
まわりで見てきた人は
そんなことあるんだと思うような体験ばかりでした。

一言で言うと「何かに守られている…。」と。

30歳くらいのときにC型肝炎2型とわかり
(C型肝炎の中で1番死亡率の高いのが2型)
某大学病院で血友病と肝炎の治療を並行して行うが
血友病の人はC型肝炎の治療は出来ないということで
治療は取りやめ。

その頃、苦しみから逃れるために
自分で自分を支えるために
様々な本を読み漁りました。

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☆船井幸雄先生と中村天風先生との出会い

その時、私の心の中に
すっ~と入って来たのが
船井幸雄先生と中村天風先生の本でした。

かなり考え方がポジティブになれるようになって来ました。
その私の病的な考えを変えさせてくれたのは
私の苦難の中から学ばされた考え方と
船井幸雄先生と中村天風先生の本でした。

そして、何度もの奇跡が起きる中で
いま、わたしは生きています。

「どんな絶望的な状況にあっても
 一歩先、どんないいことが
 待っているかわからない(^^)/

 それが明日かもしれない、
 10分後かもしれないよ♪

by KO☆ICHI 」

って思える様になった出来事でした。

             
☆不思議な力に守られている私

ある真夏のお盆のとき、
バイキング式の焼肉食い放題2000円の肉を
半生で腹いっぱい食ったら食中毒を起こし
お盆で近所の病院はみんなお盆休み。

たった一軒やっていた診療所に飛び込みました。
すると

「あなたの病気を治してあげよう!」という先生と出会ったのです。
その先生は、私の病気で当時で日本で2人ほどしかいない丸山ワクチンを打てる先生でした。

今は、血友病もC型肝炎も奇跡的に正常になりました。
心も体も元気そのものです。
           
40歳頃、事業がうまくいかず
売れるものは何もかも売ってしまう経験もしました。
家族と命の次に大切にしていた一軒家のマイホームも手放しました。

こんなことまだ言える状況ではありませんが裁判は40以上。
最初の2回ほど弁護士の先生に支えていただいたこともありますが
あとは弁護士費用もないので自らが法廷に立ったりして来ました。

しかし、そんな体験があったからこそ
病的な考えや、ゆがんでいた考え方だった私ですが
少しずつまともな考え方が出来るように
なって来たのでしょうね(^^)v

病気や債権債務の裁判だらけで
悩む事柄が多すぎて悩んでいられない状況になっていました(^^)

目の前のことをこなすのに必死で
もし海で溺れたら、悩んでいる場合じゃないですよね。
それより、藁にもすがる思いで必死に助かろうとしていますよね。
そんな日々でした。

そして一般的には
かなり不運と思える状況の中でも

「今の幸せ」

を感じながら生きれるようになったみたいです。

自分で変わりたいと思ってきたけど
変われない自分がいました。

しかし、どん底まで落ちて
その底辺を何年ももがきながら
さまよい歩いているうちに少しずつ
いつの間にか自分というものが変化してきました。

どんなに不運と思える時でも
それ以外のことに心の目を向けてみれば
たくさんの幸せに包まれている自分がいるものなのですね♪

過去の悲しい体験は今でも受け入れることは出来ませんが
悲しいこと以外はすべて体験してよかった。
(もう二度と体験したくはないですが)

そして私自身が引き寄せて来たんだということもわかって来ました。
 
何年か前に、色々解る方に言っていただきました。
それも全然ちがうところで2人の人に。

「いろんな苦難を乗り越えてきましたね
 これからは、その体験をもとに周りの人に
 何かをしてあげられるようになりますよ…」

と同じことを言われたのです。
もし、それが本当なら、
私自身、本当に願っていることで
私という存在が誰かのお役に少しでも立てるのならこの上ない幸せです。

私もたくさんの方々から助けられ
支えられ励まされながら生きて来れたのですから。

そんな私の過去の体験をもとに
心が疲れている人に
心が折れてしまいそうな人に
少しでもお役にたてることができる人間になりたいと思っています。
あくまでも私の体験してきた中で、お役に立つことができればと。
体験していないことはわかりませんからね。

そして今までお世話になって
私を助けてくれた方々に
恩をお返しできる人間になりたい。

「どんなにつらくても
 恩返しの出来ない人生のまま
 俺の人生は終わらせたくない!」

ただ、その思いだけで
死なずに生きてこれたようなもんです(^^)/

裏切りたくなくても状況が思うようにいかず
恩がある人なのに裏切るような形になってしまっている人もいるんです。

支えてくださった人へ
何かをお返ししたい。
そんな気持ちで生きています。

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☆普段の私は f^_^;

サンジュネスに行く前に
近所の砂浜でボケーッと海を見ていたり
お月さまがまぶしいくらいの夜に

砂浜でひとり
月の光に照らされて
キラキラと輝く夜の海を
見ていたりすることが好きな
ロマンチストなおじさんなんです(^^)v

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☆私の母(関谷君江)


(母:関谷君江)

母は35歳で旅立ったけど
幸せだったと思います。

母が意識不明になって
旅立つ日が来るまでの数日間
あることがあり、私だけが
すべてを知ってしまったんです。
母の日記を読んでしまった。

知らない方が良かったかもしれない…。
なぜこんなことになってしまったかと言うことも知ってしまった。

親父と出会ってから
私が生まれ母親になったが
女として親父にいつもときめいて生きていたんだと思う。

母は親父のことが好きで好きでどうしようもないほど
旅立つときまで好きだったんですね。
もしかしたら息子の私よりも親父を愛していた。
幼い私からもそれがわかるほどでした。
ここまで愛せる男と出会った母は本当の幸せ者だったんだと思います。

天国に行ってからも
今でも親父のことを愛しているんだろう。
それが私の誇りかもしれません。
女として幸せだったんですね。

2015年の夏に親父も旅立ち
43年ぶりにやっと会えたんだね。
母は会いたかったんだろうね。親父に…。

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☆わたしのルーツ

2011年に、親父と母が昭和32年頃に
初めて出会った、横浜の野毛にある
カウンターだけの小さな焼き鳥屋「せきや」に行って来ました。
母の兄の店で、母は10代の頃この店でお手伝いしていました。

幼稚園の頃何度か母に連れられていったことがありました。
店内はあのときのままでした。
それ以来ですから、なんだか胸がジーンと来てウルウルでした。

そこの店主の“マサちゃん”は、先代(母の兄)の息子さんで、
母からすると甥っ子ですが母より数歳年下で
昭和30年の頃から焼き鳥「せきや」で母と一緒に兄の店を手伝っていました。

私の親父が初めて「焼き鳥せきや」に
お客さんとして来た日(親父が母と初めて出会った日)から
二人がつきあうまでずっとみていたそうです♪

マサちゃんから当時のことを聞くと
当時、映画俳優や企業の社長さんとか
さまざまな人がお客さんで来ていた様で
母はけっこう人気があったそうでした。

母を口説くお客さんもたくさんいたそうですが皆、断っていたそうです。
親父(私の父)も母を気に入っていたそうですが
マサちゃんが言うには、
親父からは母をいっさい口説いたりはしていなかったそうです。
母の方から親父に惚れていったそうでした。

わたしのルーツを聞いた様な気分でした。

う~ん、親父なかなかやるなぁ(^^)v
お母さん、女だな(^^)/

何十年間のモヤモヤが消えた日でした。

(焼き鳥屋「せきや」は2012年頃に店を閉めました。)

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☆今のわたし

苦しい時に出会った一冊の本の著者が船井幸雄先生でした。
その舩井先生が作られた本物商品を扱う販売店に運良くなることができ、
今年で15年になりました。
健康通販ショップ「サンジュネス」と名付けました。
船井幸雄グループ(株)本物研究所の販売店をやらせてもらううちに、
たくさんの素晴らしい方との出会いや、凄い商品との出会いがあり、
今も、その良さをたくさんの方々にお伝えしています。
これからも、もっともっとたくさんの方に伝えていきたいという思いでやらせていただいています。

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~☆サンジュネスは☆~

太陽のように、青春のように…。


・サン(Sun)は太陽!
 太陽のように元気で明るく!

・ジュネス(Jeunesse)は青春!
 いつまでも青春のような心と体でありたい。

そんな願いを込めて皆さまの幸せづくりの
お手伝いをさせていただけるお店をめざしています。
サンジュネスは「心、カラダ、環境にいい!」をお届けさせていただきます。


サンジュネスホームページはこちらから
↓↓↓

https://www.givegive.co.jp

そして、いま、
船井幸雄先生が設立した
にんげんクラブ神奈川支部代表もさせていただいています。


不定期で、横浜を拠点に寄り合いを開催しています。
とてもアットホームな雰囲気の中でその時その時の話題で楽しい交流をしています。
新しい方も大歓迎です!
どうぞ参加してみてくださいね♪


 ~~~~~~~

☆原田メソッドの認定講師として活動

こんな私は、常に今の自分を変えたい願望が強く、
何か自分に合った方法はないのだろうかと何十年もずっと模索していました。
それが、8年ほど前に出会った、この原田メソッドだったのです。

そしてやるきっかけとなったのが、数年前に再びご縁があり、
原田メソッドの生みの親である原田隆史先生との出会いがあり
直接原田隆史先生から学びはじめたのです。

実体験していくなかで、原田メソッドの素晴らしさ


「人格、人間力」を土台として「自立型人間」になっていくメソッドです。

 そして、「主体変容」という考え方。
 

自分だけでなく周りの人に伝えていけたらと思い、認定講師の資格も取得しました。
今は、必要な方にお伝えしたりしています。

しかし、やはり、まずは自分がこの原田メソッドで変わりたい!という想いが強いので、
三日坊主の私でしたが、コツコツと続けられているのです。

周りから見たらまだまだ変化は感じ取ってもらえないかもしれませんが、
自分自身では、かなり心の持ち方が変わって来たなと自負しています。

(原田メソッドの一つに、自分自身を大いに褒めることは必須だと教えてもらっています。良い意味の自画自賛(^^))

今は、少しずつ自分が好きな自分に変化している感じなんです。

私と一緒に学び、夢目標を創っていきましょう!
原田メソッドを学んでみたい方は、どうぞお気軽に連絡くださいね。

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☆そして、最後に

人生を振り返ってみて、今思うこと、そしてこれから(^^)

それは、紛れもなく、目に見えない存在に支えられ、守られてきた人生だったんだなと気がつかさられずにはいられません。
絶体絶命の瞬間が、幾度となくあったのにもかかわらず、今、こうして生きていられる。

これを奇跡と呼ばずにいられません。

私は、宗教というものはとても苦手で、なるべく避けてきた人生でした。
宗教なんかに頼って生きたくない!俺は俺の力でやり遂げていくんだ!って思ってましたから(^^;;
しかし、半端じゃない奇跡を体験していくうちに、徐々に、

「もしかして、やっぱり神さまっているんじゃないのかな」

と思えるようになったのです。


尊敬する船井幸雄先生も、
バリバリのビジネスコンサルタントの会社を運営していく中で、
ビジネスを成功させていくには、もっと深いところの部分が解明されていかないと本当の成功はできないと思い、
不思議な世界への探求を始めたお一人です。
そんな、目に見えない世界をビジネスにも広げてくださったのが、船井幸雄先生だと思います。

今でこそ、大手の会社もビジネスにマインドフルネスなどを取り入れ、
スピリチュアル性を積極的に取り入れていますよね。

でも、10年、20前はまだまだでした。
日本では船井幸雄先生が先頭に立ち、表立って発言していった方だと思います。
その勇気ある行動にも尊敬しています。


私も、個人の体験の中ですが、
目に見えない存在を認めざるを得ない瞬間瞬間があったことで、
今では純粋な神さまを信じているのも私なのです。

だから、相談を持ちかけられたら、神さまという言葉でなくても、
何か目に見えない力に守られているから希望を捨てないでくださいというような
ニュアンスでアドバイスさせてもらっている私がいるのです。

俺が俺の人生を切り開いていくんだ!と強がっていた私の大変化なんです(^^)

今は、こんな自分が照れくさいですが少しですが好きになってきています。

これからは、自分ができることで、人のお役に立てれる人生を、
目に見えない存在と共に、幸せ作りのお手伝いができたらと願っています。


以上です。


長々と読んでくださった方、心より感謝いたします。
ありがとうございました。


勝俣工一

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